本記事ではコンピュータ・システムに関する訴訟を「IT訴訟」と表記しています。
IT業界では、発注者(ユーザー)と受注者(ベンダー)の間でトラブルが発生することも珍しくありません。訴訟へと発展する原因は、仕様変更やプロジェクト中断などケースによってさまざまで、場合によっては数十億円もの損害賠償請求が行われることもあります。
この記事では、IT訴訟の判例や訴訟時の流れ、訴訟時の費用や未然防止策などについて解説します。
IT訴訟とは
ここでは、IT訴訟へと発展するまでの流れや、訴訟の原因となるケースなどについて解説します。
IT訴訟とは
必ずしも、発注者と受注者のトラブルすべてが裁判沙汰となるわけではありません。
契約遂行にあたって問題が発生した場合、まずは双方で交渉によって解決を図るのが通常でしょう。ただし、交渉を重ねても当事者だけでは解決が望めないような場合については、損害賠償の支払いや既払金の返還などを求めて訴訟へと発展することが考えられます。
訴訟の原因となるケース
契約内容によって訴訟へと発展する原因は異なりますが、主なものとしては以下があります。
・契約締結上の過失 ・ソフトの納入遅延 ・納入ソフトの品質問題 ・追加費用・仕様変更の発生 ・システム障害・事故の発生 ・プロジェクトの中断 ・合意の解約 など |
プロジェクトの規模が大きくなればなるほど完了までの期間が長くなり、想定していた以上の費用が必要になるため、これ以上時間や費用をかけられずに中断されることも珍しくありません。
IT訴訟する前に必ず知っておくべき4つのこと
IT訴訟では、以下の用語が用いられるケースも多くあります。ここでは、それぞれの用語の中身について解説します。
・善管注意義務 ・プロジェクト・マネジメント義務 ・ユーザー企業の協力義務 ・責任限定条項 |
善管注意義務
善管注意義務とは「善良な管理者の注意義務」の略称であり、「受注者は委任業務を適切にこなすために、善良な管理者による注意のもとで行わなければならない」という義務を指します(民法第644条)。
例として、「システム保守・管理を行う業者が、会社システムに重大なエラーを生じさせた」という場合、受任者としての善管注意義務違反に問われる可能性があります。
プロジェクト・マネジメント義務
プロジェクト・マネジメント義務について、裁判例では「受注者はプロジェクトをスムーズに進行するために、契約書・提案書の順守や進捗確認、また発注者の作業などについても適切に管理しなければならない」と言及されています。
この義務は、法律で明記されているものではなく、上記善管注意義務を構成するものとして解釈上認められる義務と位置づけられます (平成16年3月10日東京地裁|文献番号2004WLJPCA03100004など)。
例として、「発注者による仕様変更の要求を受け入れると、納期までに完成が間に合わないことが明らかであったにもかかわらず、受注者が期限延長や要求撤回を求めなかった」という場合、プロジェクト・マネジメント義務違反と評価される可能性があります。
ユーザー企業の協力義務
IT訴訟の場合、受任者のみが一方的に義務を負うのではなく、委任者たる企業についても一定の協力義務が認められることがあります。
具体的には「発注者はプロジェクト完遂のために、機能や帳票の確定など、受注者にとって必要な情報を提供し、また受注者から資料提供などの協力を求められた場合も対応する義務」などがこれに該当します。このような協力義務も法律に明記されるものではありませんが、契約解釈から導かれる信義則上の義務と位置づけられます。
例として、「納期遅れの原因が『発注者による情報提供の遅れ』であった」という場合には、ユーザー企業に協力義務違反があったとして、発注者に一定の責任が発生する可能性があります。
責任限定条項
責任限定条項とは「賠償額の上限を設定する条項」です。このような条項をあらかじめ契約書に記載しておくことで、受任者は契約違反を理由に莫大な損害賠償を強いられるリスクを防げます。
一般的な例として「本契約に基づいて負担する損害賠償額は、損害賠償の対象となる個別契約の委託料を上限とする」などという規定があります。
IT訴訟の判例
ここでは、実際の裁判例を紹介します。
レンタルサーバ業者にデータ保全責任が問われた事例
この事例では、「サーバのレンタルを行う業者であっても、データ消失時には責任を取るべきか否か」という点が焦点となりました。
概要
建築業者であるX社が、サーバのレンタルを行うY社と契約を締結。しかしY社がメンテナンス作業を行った際、誤ってX社が保有する顧客データを滅失。結果的にX社が復旧作業を行うことになり、X社はY社に対して、再構築費用と損害賠償として約1億円を請求しました。
結果
裁判所は「レンタルサーバ業者であっても、Y社には管理データが消滅しないよう注意する『データ保全責任』が生じる」との考えを表明。その上で、Y社の行為については「注意義務違反にあたる」との判断を下し、Y社に対して約800万円の支払いを命じました。(2001年9月東京地裁による判決|文献番号2001WLJPCA09280009)
契約前に作業開始したIT業者に注意義務が問われた事例
この事例では、「契約前に着手したことにより発生した損害について、責任を取るべきなのはどちらか」という点が焦点となりました。
概要
ソフトウェアの製作・販売を行うX社が、インターネットサービスプロバイダーであるY社へ、管理システムの導入を提案。両社は複数回にわたって話し合いを行ったものの、費用に関する話し合いがまとまらず、結果的にY社によって「導入を延期する」との通知が行われました。
しかし、X社ではすでに作業を進めていたため、導入延期によって損害が発生。X社はY社に対して約2,000万円の賠償を請求しました。
結果
裁判所は、X社が、Y社からの要望を整理したリストを受け取っていることや、「キックオフミーティング」を開催して契約交渉などを行っていることなどを挙げ、「契約内容について具体的な交渉は行われていたが、契約締結に関する明確なやり取りはなかった」との考えを表明。
さらに、X社には、Y社に対して有償作業について説明する「注意義務」もあったとして、X社による請求は認められないとの判断を下しました。(2005年3月東京地裁による判決|文献番号2005WLJPCA03280008)
過失割合が逆転した事例
この事例では、「要件の追加変更によってプロジェクトが破綻した場合、責任を取るべきなのはどちらか」という点が焦点となりました。
概要
X医大が、電気通信事業者であるY社へ、病院情報システムの開発を依頼。ただしプロジェクトが開始すると、X医大による膨大な要件追加が行われたため作業が難航。Y社は、これ以上要件が追加されないよう仕様凍結して納期延長するも、それ以降も要件追加が続いたことにより納期を遅延しました。
納期遅延を受け、X医大はY社に対して契約解除を通告。それを受けたY社は、「問題の原因は何度も要件追加を行ったX医大にある」として、X医大に対して約23億円の賠償を請求しました。
結果
この事例では第二審まで争われ、まず第一審では、「Y社はX医大に対して、プロジェクト・マネジメント義務を十分に果たしていなかった」として、責任割合は「2:8(X医大:Y社)」であるとの考えを表明。
しかし第二審では、「Y社はX医大に対して、度重なる要件追加について、警告や仕様凍結などのしかるべき対応を取っており、すべての責任はX医大にある」として、責任割合は「10:0(X医大:Y社)」であると判断されました。一審から一転し、X医大に対して約14億円の支払いを命じました。
またX医大は、判決内容を不服として最高裁へ上告していますが、2018年5月に上告不受理が決定したことにより、以上の判決が確定しています。(2017年8月札幌高裁による判決|文献番号2017WLJPCA08319003)
IT訴訟の流れ
「システム開発について相手先とトラブルが発生した」などを理由に訴訟へと発展した場合は、以下の流れで進めるのが通常です。
・訴状の提出・受領 ・口頭弁論期日の確定 ・答弁書の提出・受領 ・証拠・証人の準備 ・審理 ・和解 ・判決 |
訴状の提出
まずは原告(訴訟する側)が、双方の氏名や住所・請求趣旨・請求原因などについて記載した、以下のような訴状を作成します。その際、訴えに関する証明書類がある場合は、訴状に添付して裁判所へ提出します。
引用元:金銭支払(一般)請求|裁判所
口頭弁論期日の確定
裁判所にて訴状が確認されたのち、問題がなければ、口頭弁論の開催期日について裁判所より連絡が届きます。基本的に、訴状を提出してから1ヶ月~1ヶ月半後に設定されることが多いようです。
期日確定後、被告(訴訟される側)に対して、訴状・呼出状・答弁書催告状などの書類が届けられます。
答弁書の提出・受領
被告は、自社の住所や氏名・請求趣旨や請求原因への答弁などについて記載した、以下のような答弁書を作成します。その際、言い分を証明する書類がある場合は、答弁書に添付して裁判所へ提出します。提出された答弁書は、裁判所を通して原告へと届けられます。
引用元:答弁書|裁判所
審理
裁判所は、当事者双方が提出する主張・立証を踏まえて審理を行います。審理の過程で当事者からは準備書面や各証拠が提出され、裁判所は争点を整理・明確化します。
和解
上記審理の過程で、裁判所の判断で当事者双方に和解可能性を検討するよう勧告されるのが通常です。
和解によって解決する場合、「判決を待つよりも短期間で解決できる上、敗訴や控訴のリスクを避けることができる」というメリットがあります。ただし、「双方で妥協点を探して解決するという形になるため、100%の満足感を得ることは難しい」というデメリットもあります。
和解が成立した場合、和解内容について記載した和解調書が作成され、訴訟は終了します。一方、和解成立の見込みがない場合は、和解協議は打ち切られ、判決に向けて審理が進みます。
判決
裁判所は当事者の主張立証(証人も含む)が尽きた段階で審理を終結します。そして、審理終結時までに提出された主張・証拠に基づいて訴訟物の有無について判断する判決を下します。判決は、通常、審理終結から2~3ヶ月程度先に「判決言渡期日」を指定して行うのが一般的です。
判決内容に不服がある場合は、判決書を送達してから2週間以内であれば、判決の変更を求めて控訴することができます。控訴審は控訴提起後3ヶ月程度経過して審理が開かれますが、通常は1回で結審し、そこから2~3ヶ月後に判決が言い渡されます。
この判決に対しても、不服があれば上告・上告受理申立できますが、これが受理される可能性は非常に低いのが実情です。したがって、多くの場合は控訴審の判断が出た段階で司法的な決着が付いているのが実情です。
IT訴訟に発展した場合の費用
IT訴訟へ発展した場合は裁判所費用が発生します。
また民事訴訟については自力で手続きを行うこともできますが、その際は民法や民事訴訟法などについて一定の知識が求められます。訴訟対応にあたっては、法律知識に長けた弁護士に依頼するべきでしょう。なお、その際は弁護士費用も発生します。
裁判所費用
訴訟する際は、収入印紙代・郵券代・証人への日当などの裁判所費用が発生します。
収入印紙代
収入印紙代は、以下のように訴訟金額によって異なります。
訴訟金額 |
手数料 |
100万円以下 |
10万円につき1,000円 |
100万円超・500万円以下 |
20万円につき1,000円 |
500万円超・1,000万円以下 |
50万円につき3,000円 |
1,000万円超・10億円以下 |
100万円につき3,000円 |
10億円超・50億円以下 |
500万円につき1万円 |
50億円超 |
1,000万円につき1万円 |
郵券代
郵券代は、裁判所や原告・被告の数などによって異なります。一例として、東京地方裁判所では、原告・被告ともに1名ずつの場合は6,000円と定められています。
証人への日当
証人を呼び出す場合は、日当や交通費などの費用も発生します。例として、民事訴訟で証人を呼び出す場合は8,000円以内と定められていますが、実務的に証人日当が請求され、支給されることは稀です。
弁護士費用
弁護士に依頼する場合は、相談料・着手金・報酬金などの弁護士費用が発生します。
相談料
弁護士に法律相談する場合にかかる費用のことで、相談料としては5,000~1万円/1時間というところが多いようです。ただし、なかには無料相談を行っているところもあり、事務所によってさまざまです。
着手金
弁護士に案件依頼する場合にかかる費用のことで、勝訴であっても敗訴であっても支払わなければなりません。なお、費用相場としては請求金額の5~10%程度というところですが、事務所や依頼状況によって異なる場合もあるため、費用詳細については直接事務所へ確認を取るのが良いでしょう。
報酬金
案件終了後、成功程度に応じてかかる費用のことで、敗訴して利益が出ない場合は発生しません。なお費用相場としては、債権額の10~20%程度というところですが、こちらも詳細については事務所へ確認しましょう。
IT訴訟を未然防止するためにできること
相手先との契約にあたっては、双方の合意内容について記載した書類を作成したり弁護士に相談したりすることで、訴訟へ発展する可能性を小さくすることができます。ここでは、未然防止のためにできることを解説します。
契約書や議事録を作成する
IT訴訟を未然防止するためには、発注物の要求仕様や委託料など、双方の合意内容を記載した契約書や議事録を作成しておくのが有効です。あらかじめ書面にて記しておくことで、「言った言わない」といったトラブルや、解釈の齟齬などの防止が見込めます。
なお書類作成時は、最低限でも以下の事項を記載しましょう。
・業務にかかる予算・時間 ・要求する(される)性能・機能 ・仕様の変更方法・損害発生時の賠償責任 ・未規定事項をめぐるトラブル発生時の対応 |
弁護士へ相談する
「自分だけで問題解決できる自信がない」という方は、知識・経験が豊富な弁護士のサポートを得るのが効果的です。弁護士に依頼することで以下のサポートが受けられるため、自力で対応するよりもスムーズな問題解決が望めます。
・契約書のリーガルチェック ・議事録の作成・チェック ・訴訟対応の代理 ・意見書の作成 ・紛争時に取るべき対応に関するアドバイス |
なお、事務所によって力を入れている分野は異なるため注意しましょう。弁護士に依頼する際は、事務所HPなどを参考にしながら、企業法務やIT知識に関する知識が豊富な弁護士に依頼するようにしましょう。
まとめ
発注者と受注者によるトラブルが当事者間では解決できないような場合、訴訟へと発展するケースもあります。訴訟発展時は、審理を重ねたのち、裁判所によって判決が下されることになりますが、場合によっては和解にて解決することもあります。
ただし訴訟対応にあたっては、ある程度の法律知識は必要となるため、その際は弁護士によるサポートを得ることをおすすめします。弁護士であれば、訴訟対応の代理が依頼できるだけでなく、契約書のリーガルチェックや議事録の作成・チェックなど、未然防止のための対応なども依頼できます。
また事務所によっては無料相談を行っているところもあるため、少しでも不安を感じている方は、まずは相談してみると良いでしょう。